宇宙大のなんやかや

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宇宙大のなんやかや

彼れと此れとをてんやわんやで考える葦哉。

どうしようもない既卒のオレが就職活動を終えるまで-5・フリーター

いつかきっとじゃ、どうにもならないこともある。

前回は新卒でのグダグダっぷりを考察ました。
屈折してますねぇ…。
しかし、一歩前進といったところでしょうか。
ようやく今までの連続を断って、なにかを始めようという段階に入りました。

今回はフリーター時代を考察します。
いつかオレも正社員にという思いを持ちながら、新卒で正社員として入社してくる人を横目に自責の日々が続きます。
行動しないことは、非常におおきなリスクだということです。

灰色、どうにもならない、ありがとう

しばらくは派遣会社に登録し軽作業に従事していましたが、交通費も出ず収入も良くなかったので、近場の量販店でアルバイトを始めます。
その当時、自己の屈折した内面を解明しようと、思想や宗教についての書籍を読み漁り、一人で修行者・善人ぶりながら生活していました。
今からみれば大変危険な行為です
瞑想もして、そのための学習の場に参加したこともあります。
雑念とはこういうものかといった感じの経験はしましたが、それが即、一線を越えさせるということはありませんでした。
ひたすらに、無やら空やらを妄想し、なにかが分かったかのような錯覚に溺れながら、自分は周りの人間とは違うという妄想をさらに強化し、外道の道を邁進していました。
当然、それにより生活が好転することもなく、作品作りが進むことも無く、発表することもないまま、空ろな生活者ぶりをこじらせていきます。

一見いい人そうで、やさしい感じに見える人間だったので、より大きな裁量をもった仕事を割り当てられ、それなりには頼りにされるようになります。
給与も多少は上がりましたが、それでもうだつはあがらず、感謝すべきことも理解していません。

当時から最も影響を受けていたのが仏教でした。
お釈迦さまの言行録のようなものが経としてたくさん訳され刊行されており、最初は非常にいぶかしみながら(この世で最も訳の分からないことを言う教えというのが、仏教の第一印象でした)、後には親しみを覚えながら、そういったものを常に意識して生活するようになりました。
そこから部派仏教大乗仏教、中観、唯識、日本史と仏教など独学(当然できてませんよ)しながら、自分の変わらなさを痛感するようになりました。

自分はたまたまそういったものに触れ、心のどこかに引っかかり、それを常に意識し、刺激しながら、どうにかなるという考えから、どうにかせんといかんという考えに変わり始めていました。

宗教は習性と習慣を重視し、用いる習慣を変えることで、見え方を変えていくことをある種目論んでいるように思います。
自己啓発であれなんであれ、自己が変わるということは、判断の道具の使い方が変わるということだと思うので、別にこれでなければならないということは無いのかもしれません。
ただ、やはりなんであれ何かに染まることは危険です。
自分の妄念に染まるのか、誰かの思想にそまるのか。畢竟同じことでしょう。
仏教にはそういったものが無いようにみえたので、今でも親しみを感じ続けています。

「いい加減、自分もかわらにゃならん」ということで、たまたま偶然、両親に電話をし、今までの感情を告白しました。
針の一刺しが、ここで起ります。
告白している最中は震えがとまりません。
よくあの時電話ができたなと思います。
なぜ出来たのかは説明できません。おそらく弾みでしょう。
どうにもならない焦りが、尻に火をつけたのです。
結局、一度実家に帰り、直接面と向かって話す機会を得ることが出来ました。
そこで、多くのことが誤解であり、両親に謝罪も受け、失った時間に後悔し、八つ当たり的に両親を恨みました。
20代も半ばをすぎて初めて思春期や反抗期が機能したのです。
10年越しの子供の人生です。
周りよりも何週も遅れてのスタートです。
しかし、モチベーションは尽きません。
嫌な人間になりました。
ワガママになり、自己中心的な考えを持つようになりました。
自分の視野に肉感が宿るようになったのでしょう。
しかし、それがイコール勇気や強さを宿した人間になるかというと、そうでもありません。
社会的な立場が非常に弱く、やりたいことも見つかっていません。
長年の不摂生がたたり、フィジカルの面でも心もとなく、やる気に追いつきません。
経済的能力に乏しく、資格もなく、自分のこれからの方向性も定まっていないまま、ずるずると職場の仕事をこなす。
そんな中でも、新しい仕事を探し、新天地への挑戦の機会を求め、本格的に就職活動を始めました。

当時の自分がやるべきだったこと→いままでの思いの告白

子供のまま成長していないことを実感しました。
それから、大人ぶることをやめました。
当時は開放感より、それまで失ってきた多くの物事を思い、ものすごい苛立ちを感じていました。
取り戻すには、あまりにも遅すぎただろうと。
そういう思いを両親にぶつけました。
当たり前の家庭の姿です。
これができないと本当の意味でゼロベースになり、自分のなにかを取り戻すことができなかったのだろうと思います。
ただ、ゼロとはいえ今までの業務経験は無駄ではないので(知識はあるに越したことはないのです。それに驕ってしまわなければ。)、実際の就職活動でもその点が役に立ったところは大きいのです。
しかし、それがメインとなっていたかというとそんなことはなく、結局はそれを目指して何がやりたいのか?そのためになにができると考えているのか?その覚悟はあるのか?を問われました。
入ったところですぐにやめられたのでは、あまり意味のない(かつ、既卒の短期離職はやはりまずい)ことなので、業務経験うんぬんよりは、結局は自己の棚卸しが重要だったといえます。

就職活動へ

当時の自分が読んだモノ達抜粋:おしゃかさまメイン。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 釈尊 バウッダ[佛教] (講談社学術文庫) 龍樹 (講談社学術文庫) ソフィーの世界 パルメニデス ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン (新潮文庫) ウパニシャッド (講談社学術文庫)  アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2) 森田療法 (講談社現代新書)